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特集に寄せて

 

 

 

 ある話からはじめよう。私が以前勤めていた会社に、ある奇妙な男が現れた。

 その人は、会社の同僚に悪口を言ったり、社会的に許されない行動を取ったり、挙句の果てには私の友人の女性を泣かせたりもした。この人は当然皆から嫌われた。

 変わっていたのは、この人はいくら悪い言動をおこなっても、謝ったり態度を改めたりするどころか、むしろ自分の正しさを主張し、反対に自分が腹を立てるのは当然だと繰り返していた。もちろん私もこの人が嫌いだった。早く会社を辞めてくれといつも願っていた。

 日に日に彼の言動が許されないものになっていく中、しかし私はどこか彼と自分がつながっているものがあるのではないか、と不安とも恐怖ともつかない奇妙な気持ちを抱きはじめた。彼は皆から嫌われていたので、彼のことを「悪人、常軌を逸した人物」と決めつけてしまうことは実に容易かった。にもかかわらず、彼の「悪」は私の思考と感情を強くひきつけて止まなかったのである。

 ニーチェ―バタイユ―ドゥルーズといった一連の系列の西洋哲学は、或いはボードレールやジャン・ジュネ、中上健次といった文学者らは、自己(自我)の精神過程と悪の関係を絶えず思考してきた。一方で、現代社会においては、例えば「サイコパス」と言った形容句に見られるような常識からは捉え難い「悪」の姿が噴出しつつある(不可解な事件、不可解な言動などにもはや枚挙に暇なしだろう)。しかしそれらを単に「分からないもの」と括りつけて社会隔離するような現代社会の在り方をまた、私たちは問題化できるはずである。

 結局、皆から嫌われていたその男は自ら会社を辞めてどこかへ消えていった。私たちは今こそ、「悪」というこの得体のしれない事柄を自分に強く結び付けて、その声に耳を傾けるべきである。そのとき、文学という方法は途轍もない力を私たちに与えてくれるであろう。(文責 光枝 初郎)

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