黄桃缶詰
SINCE 2015
活動再開!2019年4月発表をめどに小特集「曖昧なる境界線」が決定!(1/28)
はる「ロジウラ」、misty「時間喰いのモービーディック」の原稿を掲載しました!(11/25)
しばしの間休載。(9/12)
桃缶6.5号
小特集
曖昧なる境界線
小特集 曖昧なる
境界線 に寄せて
mistyより
「曖昧なる境界線」とは何か。このテーマは吉野(キチノ)さんから提案された。僕はこのフレーズを聞いて、私たち黄桃缶詰の創刊号のテーマである「自己、又は悪」のことを連想した。このテーマは、人間は普段自分自身は「善」、あるいは善とまではいかなくても中立的な態度を物事に対して取っていると自己認識しているが、実はその自分自身の中にとんでもない「悪」や「非常」、善や中立的なものとは相対するものが居座っている、そのことを認識するかしないかの重大な違いというものについて思いをめぐらせるものであった。善悪は「通常」ははっきりとした二項対立で、極と極のように「捉えられる」が、実際=実践、現実の様々な場面に立ってみると、非常に曖昧なものである。善と悪はばっさりと区別できないものだ。むしろ、自己自身が悪や非常、健康からは離れた病気、障害、大多数からは区別されるマイノリティの方につねに誘惑される、そんなゾーンという魅力めいた概念をこのテーマは喚起するように思われた。それは小説や他の創作物にこれ以上は無いほどうってつけの主題である。
吉野木蓮氏の「パッサージュ・ダンフェ」は、直接的なまでに超SF的な世界観の中で生と死、人間と機械、そのような狭間だらけで構成された幻惑的な雰囲気を作中に登場させている。生死、人間と機械などのテーマは常に現代にあって普遍的である。
阿部橘氏の「汀は遠く/天使は歌う鋏に合わせて」は、透明なフィルムのようなもの/概念の中に溶け込む肌身や色彩のことを情景的に捉えているように感じられる。皮膜のようなものだ。皮膜は人間の細胞に備わっているものでもあり、この私たちの生きる世界を包み込んでいるものでもある。
この小特集の機会に限らず、曖昧な境界線を私たちは私たち自身の生において幾度となく追求するはずである。