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エイリアンから届く年賀状   熊野ゆや

1

 

 エイリアンの弱点は歌。他に細菌であるとか水であるとか。地球上に存在する意外なものが効果を発揮して人類は侵略者の殲滅に成功する。共通の敵が現れたことで対立していた国家が協力し合い、戦争のなかった平凡な生活よりも連帯感のある感動的なハッピーエンド。

 ところで本作の主人公メリノはエイリアンであるが意外な弱点を持っていない。大体のことについて弱く、意外な場面で強さを見せる。大体のことは訓練をすれば人並み程度には慣れる。レジスターの操作に関しては夏から始めたコンビニバイトの経験から問題なくこなせる。品出しはできない。客の多い時間帯の勤務であったため、レジ周りの仕事が忙しく、他の仕事を教えてもらう前に辞めた。

 現在は不動産やピザ屋の広告を他人の郵便受けに入れる仕事をしている。人と接することがなくて気楽らしい。

 メリノが地球にいる理由も感心できるものじゃない。怪しげな商売をしてる叔父のムートンに連れられて来た未開の星。侵略するほどの力を持たないムートンは人間の有力者と取引を始める予定だった。そして話をつけたという国の軍上層部に裏切られ宇宙船を奪われる。ムートンは身柄を拘束されて甥のメリノに助けを求める。しかしメリノはムートンの救難信号を無視して気ままに生きている。家族にも学校にも厄介者扱いされ続けてきたメリノにとって、地球では不自由なく生活できそうだし、これを機に生まれ変われる気がしていた。

 何も良いことのなかった故郷に比べれば、まだ悪いことの起きていない地球に期待できた。

 

「ムートンはどうなったの」

「まだ捕まってるよ。毎晩電話がくる」

「無事なの」

「死んでも死なないよ。あの人は」

 メリノはコンビニバイトで知り合った男子大学生シゲタと毎週水曜日の夜に食事をしている。

 シゲタは現在もコンビニバイトを続けており、それは学業よりも気合を入れて取り組んでいる。学業を疎かにしているわけではない。最低限の単位取得以外に大学へ行く意味が見出せなかった。もともと東京出身で、進学のために上京したわけでもなく、高校生活よりも大学が退屈だった。時給が発生するコンビニのほうがいる意味を感じられた。メリノと出会うこともできた。

「助けに行かないのか」

「助けたら故郷へ帰ることになりそう。まだ帰りたくないからね」

「自分の意志で残るとは決められないの」

「分からない。ムートンなら話を聞いてくれるかも。でも僕はこれまで誰かに自分の意志を述べて良い結果を得られたことがない。だから僕は自分の考えを主張することがない」

「主体性を持てよ」

 シゲタはトングを用いて鉄板の上で焼ける肉を裏返し、もう食べられそうな肉をメリノの受け皿に乗せる。

 メリノは慣れないからこそ丁寧な扱いの箸で肉を挟み、正確にゆっくりと口に運ぶ。俯いたまま食事する癖は几帳面な性格のせいかもしれない。

 焼けた肉をシゲタが受け皿に置くよりもメリノが肉を食べるスピードが遅いため、受け皿の肉は増える一方だ。肉を食べているメリノはシゲタの表情を伺うことができない。

 いつもは水曜日にファミレスで食事をしていた。それがこうして焼肉店で食事をしているのは、特別な意味があってのことだろうか。大切な話があるとか、割引券があるとか。

 不思議な沈黙が続いている。主体性とはなんなのか、メリノには分からない。それに対してシゲタは答えを求めているから、それまで何も喋る気がないのかもしれない。

 ごめん分からないよ。そう答えられないのは、メリノが素直な気持ちになれなかったのではなく、受け皿に肉が運ばれるスピードが速すぎて、慣れない箸で肉を目視しながら口に運んでいては間に合わず、増え続ける焼けた肉ばかりに注目が集まり、シゲタに返事をする余裕まではなかったから。

 とりあえず肉を食べるのを止めて、シゲタの表情を確認し、的確な返答をするべきだった。それなのにメリノは焼けた肉を最優先に考えてしまった。

「すみません。カルビ二人前お願いします」

 シゲタが沈黙を破って店員に追加注文した。

 待てよ。まだ現在進行形で焼いている肉もあるし、受け皿の肉も少し減ってきたくらいだというのに。

 声に出してシゲタに抗議すべきだったとメリノは後悔した。声に出さなくても、悲しげな表情や憤怒に満ちた表情を見せればシゲタも考え直した可能性はある。

 事態は悪化してしまった。どうしてシゲタよりも焼けた肉を優先してしまったのか。それは向き合うべき問題から目を逸らし時間が解決してくれると考えるメリノに非があった。

 無慈悲にも焼けた肉はメリノの受け皿に運ばれてくる。シゲタは先ほど店員に注文してから無言であるし、会話は主体性について聞かれたまま途切れている。

 焼けた肉が受け皿に運ばれ、それを不器用な手付きの箸が口元へ運ぶ。この危機的な状況下でメリノの箸を取り扱う能力は急成長していた。それは上品ではないが、素早く肉を食べることに特化していた。相変わらず目で箸を追っていないと上手く動かすことができないためシゲタの表情を伺うことはできない。

「すみません。カルビ四人前お願いします」

 シゲタが更なる注文を店員にすることで、メリノは確信を得た。先ほどから、メリノが肉を食べるスピードの向上に合わせて、シゲタが肉を焼いて受け皿に運ぶスピードも速くなっているような気がしていた。そうか。そうだったのか。

 メリノはシゲタを気の利かない男だと思っていた。他人の気持ちを推し量る能力がないため、肉を焼いて受け皿に運び続けるのだと思っていた。気の利かないシゲタは善意で肉を焼いて受け皿に運ぶ。善意だから心の優しいメリノは何も言わずにシゲタに付き合ってやっている。そう考えることで現在の状況を割り切っていた。

 ここで認識を改めなければならない。シゲタは悪意で肉を焼いて受け皿に運び続けている。店員が四人前のカルビをテーブルに並べる。ジュージューと肉を焼く音と立ち込める匂いは止むことがなく、メリノの受け皿に運ばれる肉の量も減る様子を見せない。

 視界の片隅で、生肉を鉄板に乗せたりひっくり返したりするのに使うトングは、メリノの受け皿に運ぶときに使用されるトングと別であると気付く。ささやかな気遣い。もしやシゲタは悪意でなく善意で肉を焼いて運ぶのではないか。そうだとしたらカルビ四人前の善意は悪意と同等かもしれない。

 悪意でも善意でも構わない。カルビ四人前くらい、食べてしまえばいい。幸い食べようと思えばたくさん食べられる体質のメリノだった。

 速すぎてもいけない。遅すぎてもいけない。現状を維持すること。時間は解決してくれる。一定のスピードで焼けた肉をメリノは食べ続ける。すると焼いた肉が受け皿に運ばれるスピードも自然と一定になった。肉を焼く行為と食べる行為は継続されているのに、なぜかそこには静寂があり、安心感さえあった。それは人々が文句を言いながら学校や会社へ毎日出かける姿に似ていた。

「カルビ六人前お願いします」

 シゲタの声が響いた。遠くにいる店員に呼びかける元気の良い声だ。こうして俯いたまま肉を食べていても、声の調子は聞き取ることができる。

「主体性を持てよ」

 そう言ったシゲタの声は、呆れたような悲しいような声だった。怒っているわけではなかったと思う。それに対してメリノは「平凡な大学生に何が分かる」と思っていた。どうせ自分の身の上話など、変な外国人が宇宙人を自称していると思っているのだろう。笑い飛ばして欲しかったのに、シゲタが真剣に話を聞いてくれるものだから、どう反応していいのか分からなくなってしまった。

 素直な気持ちも足りなかった。コンビニバイトの勤務をしていた頃、仕事を丁寧に教えてくれたのはシゲタだった。居場所がないのはお前だけじゃない、とメリノを励ましたのはシゲタだった。

 これまでメリノはシゲタを裏切り続けていた。アルバイトで失敗を繰り返してもシゲタはメリノを見捨てなかった。それなのにある日寝坊して、電話連絡で遅刻すると報告するのが嫌になって、職場と逆の方向の電車に乗って、そのままアルバイトは辞めてしまった。

 シゲタと水曜日に食事するようになったのは、バイトに出勤しないメリノを心配してシゲタが相談に乗ってくれたからだ。メリノは少しずつ心を開いて、こうして宇宙人という身の上を話したのだった。

 やっぱりシゲタは怒っているのだ。本気でぶつかっているのに、本気で受け止められないことを。だから肉を焼いてメリノの受け皿に運び続ける。受け止めようじゃないか。運ばれてきた肉は食べ続けるしかない。シゲタはシゲタで遠回りな方法ではなく、もっとストレートに怒るべきだった。

 肉は運ばれ続ける。店員の手でテーブルに運ばれ、シゲタによって鉄板の上で焼かれ、専用のトングでメリノの受け皿に置かれ、メリノの箸によって口に運ばれる。

 悲しかった。どうして戦い続けなければならないのか。生きていくからには誰にも意地がある。引き下がれないまま戦い続けることもある。

 気持ちを伝える能力のない自分に問題があるとメリノは自覚している。けれどこれだけの肉を食べさせて、それが正義と認識されてしまうのも間違っている気がする。譲れなかった。

「カルビ八人前お願いします」

 経済的にもどうかと思う。勝手に注文しているのはシゲタなのだから、会計はシゲタが支払うのだろう。これまでシゲタと食事する際は必ずシゲタの奢りだった。今回も例外とはなるまい。

 他人の金とはいえ、大学生にしては金遣いが荒く感心できない。自己投資するなり、もっと有意義な使い道があるのではないか。

 これまでカルビばかり注文するのはキャンペーン価格で安いなど経済的な理由であろうと考えていたが、いくら安いにしても既に合計二十人前以上を注文しているのであって、会計も莫大な金額に到達していると予想される。

 そして何より、カルビばかり食べていて飽きるという発想はないのだろうか。

「カルビ十人前お願いします」

 

2

 

 冴えない大学生だと思ってバカにしやがって。

 シゲタは感情を顔に出す方ではないが、メリノの態度に苛立っていた。怒らないから無断欠勤した理由を言いなさい、とメリノには言った。しぶしぶとメリノが話し始めた身の上話はシゲタの想像の斜め上であったため、こうして毎週水曜日に話し合いの場を設けることにした。

 メリノの見た目は日本人によく似ているが挙動が日本人風ではない。警察官ならば真っ先に職務質問するタイプ。捕まることなく生活できているのだから、法律を破っているわけではないのだろう。それにしても宇宙人と名乗るとは。

 嘘を言うなら内容によっては許せる。隠さなければならない秘密があるなら仕方のないことだ。メリノには気負っているものが感じられない。叔父が捕まっているのに助ける気がない話はシゲタにとって理解の範疇を越えていた。特に目的もなく宇宙人が人間のふりしながら生活していて、それをバイトの先輩に打ち明けてる状況が解せなかった。嘘ならもっと上手にしてほしいものだし、宇宙人ならもう少しちゃんとしてて欲しかった。もう肉を焼いて小皿に盛るの止めて下さい、と一言伝えてほしかった。辛いなら辛いと言って欲しかった。

 シゲタとて何も考えずにカルビを注文し続けたわけではない。初めのうちこそ面白半分の悪意であったが、メリノが短い時間で急成長して肉を食べるスピードを上げ、注文する肉の数を増やしても怯むことなく食べ続ける姿に、シゲタは謎の感動を覚えていた。これだけ食べられるなんて、人間じゃない。もしかして、メリノは怒っているのかもしれない。シゲタを信用して宇宙人であると打ち明けたのに、そんなわけがないと疑っているシゲタの態度を察して、無言の圧力として肉を食べ続けているのかもしれない。

 戦いはシゲタの所持金が会計を越える寸前まで続いた。たまたまシゲタは公共料金等支払いのため現金を多く持っていた。メリノが肉を食べきって顔を上げたとき、戦いは終わった。

 二人とも泣いていた。どちらが勝ったかなんて重要ではなかった。張りつめた糸が切れたようにシゲタとメリノは号泣し抱き合った。それを合図にしたように店内は拍手の渦に巻き込まれた。

「おめでとう」

「おめでとう」

 君たちの姿に感動したと元劇団員の店長はミュージカル風で大げさな身振りで伝え、客の何人かは今なら好きな人に想いを伝えられると店を飛び出した。カルビを運んでいた店員だけが冷静に伝票を二人に突きつけた。シゲタが現金で会計を済ませても店内の熱気は収まっていない。

「ありがとう」

「ありがとう」

 シゲタはメリノを連れて、もっと静かな場所へ移動しなければならなかった。宇宙人にしても人間離れした大食漢にしても、詳しく話を聞きたかった。自分にできることがあるなら協力したいと思っていた。

 

 十月は衣替えが済んでいたら夜の公園でも寒いほどもないのだけど、シゲタとメリノは半袖を着ていたため微妙に快適な温度ではなかった。

 彼らの他に誰もいない公園。揺れるブランコに座る二人は絵的にも微妙な立場である。成人男性が二人でブランコに揺れている姿は寂しい。お金がないんだろうか。公園には目立たない場所にベンチが設置してあるのに、むしろ特別な存在のブランコを居場所に選んでいることが寂しい。

「つまり、ムートンは都内の軍施設に捕まっていて、メリノは助ける機会を窺ってるわけだな」

「たぶん、そうだと思う」

「一人じゃ心細いから頼れる仲間を探していて、ついに俺と出会ったというわけだ」

「たぶん、そうだと思う」

 先ほどはシゲタと分かり合えたような気がしたメリノだったが、それは甘ったるい映画で描かれる身分違いの恋のように、現実とは切り離された綺麗な嘘なんだと思った。

 シゲタから一方的に繰り出される言葉をメリノはキャッチするでも投げ返すでもなく避け続けているだけだった。

「これから俺たちはホームセンターで役に立ちそうなアイテムを揃えて、巨大な敵を相手にした冒険を繰り広げるんだ」

「たぶん、そうだと思う」

 

 シゲタとメリノが普段は用事のないホームセンターに行って、もうとっくに閉店してて、翌日の朝にはどうでもよくなってる様子をムートンは遠隔操作のカメラで見ていた。

 捕まったはずのムートンであったが、その気になればいつでも逃げ出せたし、故郷の人々よりも自分が必要とされている感じがしたので、軍施設の方々と一緒に暮らしていた。その生活にも少し飽きてきて、そろそろ抜け出す口実がほしいところだった。

 メリノが叔父を救出するものだと思っていた。ムートンは甥っ子が苦難を乗り越えて助けに来たから、仕方なく合流して、二人で世界の危機を救うなどするのだろうと思っていた。

 シゲタという大学生を観察していて、ムートンは自分が間違っていたのではないかと考えた。映画の主人公は常に目的があって障害を乗り越えるものだが、人生は二時間の枠に収められた物語ではないし、メリノにはメリノのドラマがあって、彼は彼で既に幾多の困難を乗り越えたハッピーエンド状態なのではないか。平和な生活を失ってまで叔父を救出する理由がないのだ。ムートンもシゲタも叔父の救出というドラマを実行するべきと考えていたのは生活の変化を求めていたから。メリノがそれに同意しないのも一理ある。

 ムートンは来週やる文化祭のことを考えた。軍隊というものは学校に似ていて、閉じた世界で代わり映えのない生活をしていると、狭い空間に閉じこめた動物が共食いするみたいに、よくわからない争いが始まったりするため、年間行事でスポーツ大会や文化祭などのイベントを盛り込み、一つ一つに目標を持たせようとするのだが、学校と違って数年間で卒業するわけでもなく、定年か死ぬまで何十年も続く学校に似た生活は、特に実戦経験がない平和な国の軍隊であったり、そもそも前線で戦うことを前提としない後方支援の部隊であったりすると、結局は年単位で同じことが繰り返されるだけと感じるようになり、共食いみたいな争いを長い年月続けていたりする。

 ここからムートンが離れ辛い状況にあるのは、彼らの動物的な人懐っこさに、少し心を動かされてしまったから。軍の上層部はムートンを騙し宇宙船を奪い取ったが、それはいつでも奪い返せるくらい粗末な管理がなされていたし、利用価値があると見なされたムートンは兵器の研究をする施設で働くことになり、現場の研究員たちからは慕われ、真面目に働いてる様子は無駄に高速で伝わる噂話によって上層部でない一般隊員にも届き、概ね好評に仲間として受け入れられた。ムートン博士と呼ばれるのも気持ちが良かった。

 しかし目立つ存在を悪く思う者もいて、ムートンは危険思想の持ち主であるから、現在より自由を制限するべきだと上層部が主張し始めた。よく上層部の命令は絶対だと思われがちであるが、現場の人間も数が多いし結託が強いため、上層部が下手に動いても逆に潰される現実もあり、微妙なパワーバランスでムートン擁護派とムートン排除派に分かれていた。

 不思議なものだなとムートンは思う。宇宙船を奪い兵器の研究に従事させる組織であるが、構成する人員には敵となる者も味方となる者もいるのだ。それをムートンは眺めていた。もしも本格的に争いが始まるようなら、さっさと宇宙船を取り返して脱出してしまおう。

 文化祭では焼きそば屋台を出店する。今年は人気者のムートン博士がいるから、例年よりも強気な販売数と売り上げを目標にする。去年の文化祭も焼きそば屋台を出したのかムートンが聞くと、うちの研究室は毎年焼きそば屋台を出します、と返事が聞けた。代わり映えのしない生活の特別なイベントとして行われる文化祭も年単位で焼きそば屋台を出店することで体系化してゆく。それでも今年は特別だ。何故ならムートン博士がいるから。

 ムートンは日課となったメリノへの電話をかける。いつも通り、無視される。七回に一回くらい電話に出て、ムートンは助けに来てくれと言うわけでもなく世間話をして、メリノはあまり自分の話をしない。ムートンは遠隔操作のカメラでメリノの生活を監視しているが、それによって得られた以上の情報をメリノは話すことがない。互いに話すことはない。電話をかけることが習慣になり、無視することとされることが習慣になっただけ。焼きそば屋台の話をしたかったが、それを文面にしてメールで送ろうとは思わなかった。

 

3

 

 ムートンから年賀状が届いた。どうして住所を知っているのだろう、とメリノは思った。ハガキにはQRコードが印字されていて、読み取ると大勢の軍人らしき人々と一緒に流行歌を合唱するムートンの映像と音声が流れた。忘年会の出し物とのこと。ムートンや周囲の人々にとって感動的な出来事だったらしく全員号泣していた。流行に関心がなく、見知らぬ人々が泣いている様子は他人のメリノにとって薄ら寒かった。他人の中にムートンが含まれていることが、安心したような、少し寂しいような気がした。

 シゲタはバイト先のコンビニで精神的に不安定な美少女(本人の主観による評価)が後輩として入ってきて、特にこの季節は忙しくなったらしく、あまりメリノの相手をしなくなった。

 メリノは年末年始を一人で過ごした。食べたいものを食べて、見たいものを見て、充実した日々を過ごした。誰もが慌ただしい師走の雰囲気も、新たに年が始まる正月の雰囲気も、これまでにないほど心地よく感じられた。

 今までメリノは感受性を閉め出すことで生存していたのだと思う。どんなに悲惨な現実であっても時間は解決してくれる。進むべき方向を間違えなければ。流されるだけでもいい。流れてゆく方角さえ見極められるなら。

 最も重要なのは生存すること。メリノは焼き肉大食いの経験から学習した。心を大切にするのは二の次でよい。いつしか人は豊かになって、生存できるのは当たり前と思うようになった。心を満たすために何かを追求したりして、時には生存よりも心を重要視することもある。死後に残せるものがあるなら生存を後回しにする考え方もあるかもしれない。生存することで次の機会を待つのも手だとメリノは思うが、次の機会など待ちきれないし期待できない人だっているのだろう。

 自分は大した存在じゃないから、なにより生存を重視して、どうにか生活の基盤を整えて、心にエネルギーを割り振る余裕ができたとメリノは考える。クリスマスの電飾や、大晦日の何かが終わる感じや、がらんどうな元旦の大通りや、路地裏の猫に、好きと思える心が戻ってきた。

 今なら新たな目的を持つことができる気がする。ムートンを救出するのもいいし、シゲタの相談相手になるのもいい。ただ、現在の彼らは満たされている気もするし、余計なお節介をするより自分のことでもしようか。

 目標を他者の物語に設定するのはあまり良くない。シゲタが非日常を求めた理由は日常に不満があるからだろう。変わり者のエイリアンたちと冒険を繰り広げる物語の主役又は準主役に自分が該当すると思いたかった。しかしそれこそ主体性がなくて、どこかで見た映画のストーリーをなぞってるだけだったりする。

 でも人は誰かを真似して生きるものだ。現実にはありえない荒唐無稽なフィクションだって、制作過程には筋道があって、それは何かを真似したり、あえて真似しなかったりと、何らかの影響下で繋がっている。

 ムートンやシゲタに送る年賀ハガキを書おうと出かけた。メリノは街角で覚えのあるメロディーを聞く。それはムートンが歌っていた歌だ。ありふれた流行歌。メリノがこれまで認識していなかった音楽はムートンに関連して認識された。同時に場所や時間も認識された。これらの情報を忘れてしまっても、どれか一つでも覚えていれば、また思い出せる気がした。(了)

2015年に誕生した

文芸同人「黄桃缶詰」のホームページです。

 

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