黄桃缶詰
SINCE 2015
活動再開!2019年4月発表をめどに小特集「曖昧なる境界線」が決定!(1/28)
はる「ロジウラ」、misty「時間喰いのモービーディック」の原稿を掲載しました!(11/25)
しばしの間休載。(9/12)
せいめい 光枝 初郎
私は生命がほしい。私は生命を生きたい。ところでこれらは詩的な言語によって書かれているだろうか、「私は生命がほしい。私は生命を生きたい」などという言説は。詩的とはなんだろうか、詩とはなんだろうか。詩と小説は違うのだろうか、どんな風にして。かつてはそういうことも考えた。私は。私は色んな小説や詩を読んでいく内に、ジャン・コクトーに出会った。ジャン・コクトーは小説だって書いているし、詩も書くし、エッセイも書くし、絵も描くし、劇作家でもあり、さらには映画監督でもあった。しかし、彼の「作品」にはいつも詩のリズムが流れていた。コクトーは詩人としてデビューした。彼を有名にした小説や映画はたくさんあっても、それらの原点は詩なのだ。詩のリズムと音。これらを総合すると、ある一定の質にまで高められた作家においては、詩=小説=文学というような、大文字の〈文学〉が出来するのだ。それを私は、コクトー的な意味合いにおいて「詩的言語」と呼び変えもしよう。私は大文字の〈文学〉は、とりもなおさず「詩的な言語」のことであると仮に定言しておく。
そして、私は生命がほしい。とくに、このような晴れたような広場においては。太陽は生命だ。生命の源だ。太陽の光は、世界中の生き物にエネルギーとパトスを与える。何の意味もなく。太陽は与えるものとして、生き物は与えられるものとしてそこに存在する。存在者は被―存在者でもあるのだ。私は生命がほしい。生命として生きたい。こんな晴れた日には。光になりたい。風の音にさざめく一本の樹木になりたい。私は生命として生きたい。生命を生きたい。そんなことを思う。
*
私は晴れた日の朝、いつものように教会のある通りを抜けて、実をたわわに付けた稲が広がっている開放地を自転車で駆け抜けていた。私はある問題を抱えていた。しごく個人的な問題。その問題の解決のために私は自分の重過ぎる腰をあげていたのだが、ともかくそういった用事は朝の内に終わってしまった。なんだ、こんな簡単なことだったんだ、と私は自分の怠惰を情けなく思い、しかし非常に安堵の気持ちも覚えた。私はふたたび自転車に乗り、機嫌も良く、iPodのスイッチを入れて、そうして宇多田ヒカルの曲を流した。
……いつの間にか、自転車を走らせている内に、私はたまらなくなり、とても変てこな気持ちで、もう泣きそうで、目頭が熱くなったどころではなく、とめどなく溢れてくる涙を、抑えきれずに、人目のつかない誰もいない田んぼに倒れこむかのようにして自転車を止まらせた。
私は宇多田ヒカルの「道」という曲を聴いていたのだ。もうそれは、激しい事件だった。「道」のことごとくの歌詞が、一つ一つの言葉が、宇多田ヒカルによって書かれた言葉とパッションが、私を容赦なく締め付けた。私は泣いた。大泣きした。もう二十八だ。二十八の男が、真昼間に、自転車を止めたまま大泣きしていた。
黒い波の向こうに 朝の気配がする
消えない星が 私の胸に輝きだす
哀しい歌も いつか懐かしい歌になる
見えない傷が 私の魂彩る
私の人生は、いつも闇の気配に支配されていた。全く幸せがなかったわけではない。むしろ不幸せな目にあってから、幸せの価値を感じ、私は多幸感に溢れ、日々を生きてきた。それでも出口が見えない。出口が見当たらないと思った。解決することができない。自分の人生をいい方向に持っていけない。
そういう意味では私の人生はただのモノクロだった。黒い暗闇の中に、たまに白い、白すぎる空間が断続的に挟まれていくだけだ。色彩はない。しかし、宇多田ヒカルは受けた傷が自分の魂を鮮やかに彩ると書いているのだ。私はびっくりした。この部分は「再生」の歌詞。朝、消えない星、懐かしい歌。そういう力強いものが、自分の中にはっきりと刻まれる。そんな全き「確信」を歌ってるかのように私には思われた。
私の心の中にあなたがいる
いつ如何なるときでも
一人で歩いたつもりの道でも
始まりはあなただった
It`s a lonely road, lonely road, lonely road, lonely road.
But I`m not alone, not alone, not alone, not alone.
そんな気分
宇多田ヒカルの実人生において「あなた」と呼べる人がいたのだろう、それくらいに、私の心の中にも痛いほど存在してほしい人がいた。とても痛かった。「始まりはあなただった」。涙が止まらなかった。孤独な道で、私は死にかけていた。絶望へ至る道だ。だけど、決して一人ではない、私の心の中に「あなた」がいたから。「いつ如何なるときでも」。
痛いほど涙が出た。いったいどのくらい涙が溜まっていて、吐き出せずにいたんだろう。涙を流すというより、涙が勝手に出ていっているというこの感覚において、私は、自分が寸分の狂いのない危機に陥っており、かつ、そのことを自分の正直な体が教えてくれたのだと思った。私は泣くことができた。辛かった。それを隠していた。隠さなくても良いのだ。辛いと正直に叫べばいい。SOSを出せばいいのだ。そうだ、私は救われたかったのだ! 救われたい。誰かが僕を救ってくれるだろうという甘い期待も無いままに、ただ弱きこの私の心を救ってほしい。罪を。贖いを。不思議にもこのとき安堵が、しかし今度は深い深い安堵が私の心を包んだ。
宇多田ヒカルの「道」を繰り返しずっと聴いた。思えば、私はいつも自分がピンチのときに彼女の歌に救われてきた。「SAKURAドロップス」、「Letters」、「Final Distance」、「誰かの願いが叶う頃」、「Be My Last」、「HEART STATION」。彼女は有名な母親のゆえもあって若くから世間の声の喧しいフィールドに立たされ、ずっと歌ってきた。離婚も経験し、母も亡くし、音楽活動も休止し、彼女の実人生――それは決して完全には見えぬものだ――が折に触れて歌の魂として一つ一つずつ刻み込まれているように思えた。「道」。孤独だけど、独りではない道。彼女が歩いた道。私が歩いてきた道。これから歩むだろう道――。
平坦な田んぼの端で私は漸く泣くことを止め、瞼を真っ赤に腫らしながら、家に戻っていった。空はあまりにも晴れていた。
*
私は生命がほしい。あの太陽のように、真っ赤な生命として生きたい。
生命を歌いたい。生命として生き直したい。私は生命を高らかに歌い上げたい。それが私の存在=実存理由。根源において、根源的なる生命を見出した私は、また生命に還っていきたい。あの太陽のように。あの晴れ渡る空のように。
(了)
※宇多田ヒカル「道」(『Fantome』収録)の歌詞は、「歌詞ナビ」の以下のアドレスから一部引用した。 http://kashinavi.com/song_view.html?97190