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黄桃缶詰
SINCE 2015
活動再開!2019年4月発表をめどに小特集「曖昧なる境界線」が決定!(1/28)
はる「ロジウラ」、misty「時間喰いのモービーディ ック」の原稿を掲載しました!(11/25)
しばしの間休載。(9/12)
じめじめとした風が肌を舐める。生暖かい空気が一帯を包み込み、身体とそれとの境界が分からないほどであった。日陰でこそあるが涼しくはなく、それらはさらに気分を落とす役目しか果たしていなかった。
目の前に敷かれた、いや、被されたブルーシートの意味は、囲むような黄と黒のテープで伝わるだろう。事件が起きたのだ。このような昼間の、閑散としていたであろう路地裏で、死者三人の事件が。
「……………………」
僕の隣に居る少女は現状把握に追いつけず、ただ呆然と立ち尽くして居る。まだ動かされていない死体から離れた、それでも立ち入り禁止テープの内側。僕らは死体の身内とあって中に入らされている。不幸中の幸いと言おうか、事件発生時現場に居合わせなかったおかげで死体を見ずに済んでいる――――少女だけは。死体の身元確認のために僕は見ざるを得なかった。関節が変な方向に曲がり、顔の輪郭が崩れ、赤く染まってはいるものの、確かに見覚えのある人物。少女の姉と僕の兄、そして。
もう一人、見知らぬ男が二人へ被さるように横たわっている。胴体こそましだが頭部を地面に打ち付けたらしく、その部分だけは隠されていた。僕の知っている二人の性格を鑑みてこのようなことは起こらない筈。だから犯人は、今もなお忌々しく体を重ねているこの男か、まだ何処かで生きている人物。それなのに。
『男二人が女性を強姦し、そのまま心中した』と。
そして犯人の一人は僕の兄であると。
つまるところ僕は犯罪者の弟で、その被害者の妹こそ少女なのだ。
少女は依然として、汗も涙も流すこと無く隣に居る。僕はと言うと、あの光景を思い出さないよう、ひたすらに頭を働かせていた。あの時は隠されていたが、聞くところによると、少女の姉の衣服は乱れ、見知らぬ男は下半身裸の状態であったらしい。じゃあ兄は、僕の兄はどうだったのかと。
そもそも兄が強姦なんてあり得ない。
だって二人は、僕の兄と少女の姉は、付き合っていたのだから。
――――――。
そもそもここは何処なのだろう。警察に連れてこられただけで、今何処に居るのかということは教えてもらっていない。見渡しても判らないことから僕や少女の家の近くではないことは確かなのだが、その限り。
壁と成るべく聳える家の、片側の窓が開いている。そこから落ちたのだということは誰にでもできる推理だろう。しかし勿論、僕はその家を知らない。疑われるのは例の男の、又はその関係の家だということ。さすがにそれ以上、知識も権限も持たない僕が分かることは無かった。警察が、用の済んだ僕らを家まで送っていくと言ったのは、そうして諸々を諦めた時だった。
「……………………」
少女は動かず、何所かをぼんやりと見つめて居る。仕方なく肩を揺すると、意識を取り戻したかのように体を震わせ、僕を見上げる。帰るよ、と小さく言うと、何も言わずに体を反転させ歩き出す。その背中を追って、僕も歩き始めたのだった。
<僕>
親族が亡くなると、その理由はどうであれ、数日の休みが得られる。忌引きだ。そうあっけらかんと考えたのはいいけれど、気持ちが晴れるわけも無く。
事情聴取を経て、『男二人』が襲ったという仮説は否定される、そう思って居たのに、現実はそう為らなかった。何故。付き合っていたのに、家族ぐるみで仲が良かったのに、捜査は寧ろ、これが事実であろうとするために進んでいる。僕はまだ知らないが、敵意を、況してや殺意を抱いている相手と付き合う筈がないじゃないか。僕の親も喧嘩こそするけれど、口論ばかりで手が出るなんてことは無い。当然だ。互いに良くしようとして本音を伝え、それがぶつかるから言い争いが始まるのであって、もし相手を害することがあれば飛んだ本末転倒だ。僕の知るところでは揉め事一つ無かった兄達がこんな末路を辿るだなんて、どうすれば考えられるだろう。だからこそ、この捜査は覆るはずなのに。
何所にもやれない気持ちを誤魔化そうと外を歩いてしばらく。少女と会ってしまった。
「……………………」
気不味い。事実は違う。絶対違う。それでも今はそう言うことになっているのだ。加害者弟被害者妹。いくら仲の良かった関係でも、二人がこのまま接していられるとは思えない。例え少女が願おうと、その母が許さないだろう。しかし僕が少女を拒否することはできない。勇気が無いのもそうだけれど、何とかこのまま一緒に居られないかという甘えに依ってしまっている。そして拒否するということは、推理を認めるということだ。兄は悪くないと僕が示さなければ。周り皆に、僕も悪人と思われようとも。
会話の無い空気に堪らず足を進め始めたところで、状況は変わらず、偶然見つけた公園に入りベンチに座る。少女も黙って隣に来る。他に誰も居ない、静寂の中、ただ日差しが降り注ぐばかりの公園。このまま流れるがままの時間を感じていてもいいとすら思ったものの、ぽつり。何かあったの、って呟いて、それだけだった。
「……………………」
相変わらず沈黙を保つ少女は、しかし左から謎の圧。少女が凭れ掛かってきていた。瞳は瞼に隠され、肩がほんわかと上下している。少女とて疲れていたのだろう。無防備に夢を結んでいる様子は、昨日の事件を全く感じさせなかった。微睡みに包まれ、あどけない顔を見せる少女に対し、ふと僕は思った。思ってしまった。今なら襲えるんだな、と。すらりと伸びる色白の四肢。癖毛一つない艶やかな髪。小柄な躰。緩んだ唇。柔らかな頬。誰も居ないこの場所で、抵抗の無い少女の純潔を奪うことは容易い。だからこう、手を伸ばし、頬に触れて――――――――ぷにぃ。撫でるのではなく指で軽く突いてみた。反応はないけど反発を感じる。僅かな弾力に指先が喰われそうになる。だけれど僕は、僕には、こ
こまでしかできなかった。襲うなんて無理だ。行為自体に恐れを抱いていることは否めないけれど、同意無くそれに及ぶなんてあり得ない。兄だって同じはずだ。僕が言えることでも無いのだけれど、兄も積極的では無い性分だ。仮に何かを欲しても、己の欲に我を奪われる人ではなかった。誰かに理解して貰えるとは思っていない。それでも僕は、兄は悪くないと確証を得た気がして、心を落ち着かせられた。
こんなところにいたのね、と機会を狙ったかのように掛けられた声を辿ると大人の女性。少女の、母親だ。隣にいる僕を見て、忽ち慌て出す。そうだ。僕の中でどれだけ考えたって、向こうにとっての僕は悪。兄に長女を襲われているのに、あまつさえ次女もその弟に襲われてしまうのか。そんな険相を呈し近づく女性に、戦くことしかできなかった。悟ってしまったのだ。これからのことを。自分の中で己を悪から救い出すことは簡単。しかし周りの目は、僕が何をしようと良いようには変えられない。周囲の眼を感じやすい僕だもの、この先恐怖しか待っていない事実に、震えることしかできなかった。
翌日、兄が携帯電話で少女の姉のGPS情報を調べていたことが判った。双方の同意がないと使えないアプリケーションだが、周辺住民の証言と合わせて、兄はこの情報を元に姉を追ったことは間違いないとされた。僕はもう、何も知りたくなかった。
<兄>
朝から彼女の反応がない。もう正午になろうとしているのに、まだ起きていないのだろうか。いや、それはない。彼女は休日に惰眠を貪るような性格ではない。そして今日は約束があったのに、なのに、何故。
不安になりアプリを開く。彼女は今どこに――――。表示されたのは彼女の家、ではなかった。見知らぬ地名。地図を拡げると、自転車なら遠くもないことが判る。しかし、それだけ。店や娯楽施設は無く、古めの家々が立ち並ぶ住宅地。彼女の知人が住んでいるとも聞いたことがない。同年代が居そうにもない。じゃあ、まさか。
居ても立ってもいられず、自転車に跨がり外に飛び出した。
<母>
全く、目を離した隙に何処へ行ったのかと思えば、まさかあの子と一緒に居たなんて。どんな顔を見せれば良いかわからないじゃない。娘と彼氏、あの子のお兄さんを奪ったのはあの人だ。やっと離れて娘も幸せに、平穏な日々を過ごせるようになったというのに。あの人はそれを壊すどころか二度と叶わないものにしてしまった。しかも、あの人自身も。これじゃあどうしようもないじゃない。兄を慕っていたあの子だもの。私もこの子も嫌われたのよ。だから近づいてはダメ。この子にもあの子にも悪いことしかない。惜しいことだけれど、何処かへ引っ越さないとかしら。近所の評判が恐い。報道されていなくても噂はすぐに拡がる。とてもこのまま暮らしていけるとは思えない。この子を無事に育てられる
と思えない。ハブられ、いじめられ。そんな目に遭わせるわけにはいかない。向こうの親御さんとの話で事件自体は解決したことになった。今の推理のままでおしまい。誰も恵まれないのだもの。これ以上互いに不幸になる必要ない。全ての原因はあの人だ。あのダメ男が悪い。自分の娘に手を出すなんて。あり得ない。何で好きになったのかしら……。
<姉>
「っ……!?」
ちょうど、“お父さん”が果てた時。私も快楽の頂に登り詰めたその直後。ようやくそれに気がついた。扉を開けて立ち尽くす人の姿。間違えようのない、愛しの人。それを理解して、途端に熱が冷めていく。事後の酔いに囚われず、知り得ない男性のそれとも似た消沈が訪れ、同時に胸の奥底から湧き上がる感情が全身に悪寒を走らせた。私の上に被さるお父さんが彼に気づく様子はなく、彼もまたお父さんだと気づいていない。
視線の先の彼が我を取り戻した。行為は尚も続こうとする。彼が叫んだ。お父さんの目が見開かれ、振り返り、驚きの色に染まる。言い争いが始まった。
そもそも私は彼と情を交えたことがない。付き合って決して短いわけではないけど。彼は奥手でシャイだった。求めて貰えない不安は、でも色目を使わない彼だから信じられた。だけどカラダはそうもいかなくて。私は自分からお父さんへ、実父へ欲情するようになっていた。
親が離婚して、別居して、寂しい反面しやすくなったことを喜んでいる私がいた。裁判で私達が会っていい日数は決められている。それを破れば法律違反、と言なくもないかも。そんな背徳的な心境でするのが良くて、コトはむしろ増えていた。それがいけなかったんだ。彼と居るとき変な気分にならないよう、そう自分を甘やかして何度もカラダを重ねていた私への罰なんだ。今の私に何ができる。服を乱して犯されたままの私に。無理矢理されたなんて嘘は吐けない。事が明るみになればお父さんの地位が更に危うい。私も羞恥の中暮らすことになる。なら彼を責めるなんて、我が儘すぎる。伝えなかったのは私だし、こんなことをしていい理由にはならない。何処へも行けない。誰にも縋れない。何もできな
い。
気弱だったはずの彼がついに手を出し、お父さんが腕を上げ、私もそこにまみれて…………。その結果、私達の体は宙に浮いていた。重力に、引かれていった。
<妹>
お姉ちゃんはヒーローだ。でもね、うっかりさんだった。わたしは遊んでいただけ。それをカンチガイしちゃったみたい。お姉ちゃんの言葉を使うと、“もうそうのしすぎ”なのかな。
お姉ちゃんはお父さんが大好きだった。かくしてるつもりだったのかもだけど、わかりやすすぎ。わたしがお父さんと遊んでるといつもうらやましそうに見てるんだもん。意味はわからないけど、お姉ちゃんは“しっと”だって言ってた。それもあるのかも?
お父さんはやさしかった。どれだけつかれてても遊んでくれる。あの日はたしか、くすぐりあいっこしてたんだっけ。そしたら急にお姉ちゃんが入ってきて、わたしを守るように“おそわないで”って。おそうなら、“私”をおそって、って。お父さんはマジメな顔でなにか言って、ふたりでどこかへ行っちゃった。それからお父さんはお姉ちゃんとばかり仲良くして。気になってお姉ちゃんに聞いても教えてくれなかった。
そんなある日。お母さんとお出かけから帰ってきたとき。お母さんはキンジョの人と話してて、わたしだけ先に家に入ると、声が聞こえたの。お姉ちゃんの部屋から、お父さんの声といっしょに。こっそりのぞいたらふたりともはだかで、気持ちよさそうにしてたの。ジャマしちゃいけないなって、お母さんに聞いてみたの。そしたら。
お母さんとお父さんがケンカしちゃって、お父さんとはべつべつに暮らすことになった。お母さんは、かってにお父さんと会っちゃダメよって。でもわたしは知ってる。あのお姉ちゃんの幸せそうな顔を見れば、会ってることくらいわかるよ。そして、してもらってるんだなって。
わたしはお姉ちゃんがしてもらってたことが“おそう”ってことだってやっとわかったの。そして、それを止められていたお姉ちゃんはもう居ない。だから言うんだ。大好きなあの子に、“わたし”をおそって、って。
(了)
ロジウラ はる
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