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Siamo tutti un po' pazzi

      

 

常磐 誠

 

 

 

 

 

 

 

・自己紹介の領域

 さて、実に唐突な話ではあるが私にはとても好きな言葉がある。勿論頭の良い読者の皆様なら既にお分かりのことだとは思う。二行程右っ側にある、横向きになっていて読み辛いことこの上ないあのアルファベットや記号の羅列のことだ。あれが何なのか今すぐ答えを知ろうなんて野暮なことだ。すぐに検索エンジンで答えに辿り着く、なんてやめてくれ。それはあんまりにもあんまりだってものだろう? 既に答えを知っていた、もしくは、既に行き着いてしまった。……そんなパターンなら、まぁそれは良いさ。仕方がないから。

 これはちなみに、という話であるが、私は大学で中国語とドイツ語を勉強していた。所謂第一外国語と第二外国語っていう奴だ。何が問題なのかっていえば、私にとってこの二つはどちらがどちらなのか、という区分ができないことが問題だ。取得した単位数はどちらも代わり映えしなくて、その習熟度も同じ。つまり今では読み書き会話、全てにおいて使えねぇってこと。どちらも第二未満。そんなもんだってんなら、多分そんなもんなんだろうなぁ。そんな風にしてどうにかこうにか納得している。それだけのお話だ。勘の良い読者諸兄は既にお気付きだろう。件のここから大体十三行くらい――読者各々の環境により変わってくる部分だろう――右っ側にあるあのアルファベットや記号の羅列、あれはドイツ語ではないし、当たり前だが中国語のピンインでもない。困ったもんだ。ならなんで私はこんなことをくっちゃべったのであろうか。まぁ気にしないでおいてくれ。別にこれは伏線とかじゃないんだ。石は投げずにいてくれ給え。もし投げるんなら金かラップに包んだ食い物をオススメしておくよ。食うの精神、とか何とか、いうじゃないか? いや、あれは空の精神か。くう、だけに。

 でもまぁいい加減このままでは読者諸兄が良くてブラウザバック、悪けりゃ本当に検索をかけてしまうんだろうな。良くて例の羅列。悪けりゃ私のプライベートな部分を露呈させようと有る事無い事詮索し始めてしまいそうだ。

 けれども許してほしい。私はイタリア語について勉強したことがないのだ。大学ではイタリア語の講義なんざなかったし、特別イタリア語にも、イタリアにも、興味はない。だから、私は意気揚々と掲げたこの文字列の読み方すらも、知らないのだ。だけど、大好きだ。この言葉がなければ、生きていけないほどだ! 信じておくれ。私は、この言葉が、この文字列が大好きで仕方がない。この文字は救いだ。まるで救いなのだ。古めかしい例えではあるが、地獄の底でカンダタが掴んだそれと同じくらい、ものっすごくか細く、便りのないそれと同じくらい、私にとっては救いなんだよ。

 だからお願いだ。どうか和訳する時も直訳で頼む。何の意味かよくわかんねぇな、程度が丁度良い。意訳なんかしてみろ。あれは救いなんかじゃない。同じような面構えの皮を被った、別人だ。いや、あれは化け物だ。気持ちの悪い、気色の悪い、キモい、キショい汚物だ。pazziとは、英訳で言うならばcrazyでなければならないのだ。なくて七癖、だなんて、そんな見窄らしい慰めにもならぬ言葉は不必要なのだ。

 あぁ、今日も眠い。けど、どうせ眠れない。ルネスタは、効かない訳じゃないが、効いた! という感覚もない。所詮はそんなもんだ。だから……。

 

・気象予報と果実酒の領域と

「僕って、きっと悪いことできないんでしょうねぇ」

 なまったるく、そんな言葉があるかどうかは知リませんが、粘り気を持った、気怠げな声であなたが口を開きました。部屋にはあなたとあと一人、女性がいます。

「あなたは、悪いことはできないと思うんですか?」

 その女の人が確認するように聞くと、あなたは頷きます。

「よく聞くじゃないっすか。『悪魔に命令されたんだよぉ! 子供を殺せってぇ!』とか、『殺らなきゃ殺られる!』ってのが蓋開けてみれば全部妄想、幻聴の類だったってオチ。けど、僕、それによく似た声を聞くんすけど、何故かあいつら、めっちゃ良いこと言うんすよ。『落ちてるゴミを拾うのです』とか、『あなたがやらないで誰がやるんですか! 綺麗にしておかなきゃ次に使う人が困るでしょう?』とか」

 首をひねったり、横に素早く振ったりしながら、あなたが続けました。

「きっとリスパダールなんざ投与されようもんなら、こいつらは黙るんでしょうけど、でも多分、そっちの方が危険でしょうよ。あいつらが黙ったら、それこそ危険だ」

「どうして危険だと思うんです?」

 どうして危険だと思うのですか? 私もあなたに尋ねます。

「そりゃあ、あいつらと会話しているより、普段のテメェの会話の方が、幾分と妄想じみているから、でしょうな」

 へっへっ。と誰をバカにしているのかもわからないような笑い声を上げながら、あなたは言いました。ここは、精神科しかない病院のカウンセリング室。カウンセラーの女性を目の前にして、あなたは箱庭の砂をいじりながら、時折、ニタァ、と笑います。

「やっぱこの砂、気持ちいいっすよね。工場で精製されてるんすかねぇ?」

 あなたは手の指で作ったあまり小さくない穴をこぼれ落ちて行く砂を見て笑いながら、何か言っています。

「工場で精製されているかどうかまでは知りませんけど、気持ちいいんですよね。それ」と女性も合わせてくれているようです。あなたは、それを聞いていて、理解もしているみたいですが、やっぱり何か言っているのだけはやめません。あなたの声は音になっていないのです。砂の落ちる音が空調の音でかき消されてしまっているのとは違う理由で、あなたの声が誰かの元へ届くことはありません。

(いいな。お前らは、普通で、いいな)

 どうか、あなたのその声を、あなたが誰かへ伝えられますように。伝えられるように、なりますように。そんな日が来ることを、願っています。今日は、おやすみなさい。私の声が届かなくなった後、どうかあなたの喉が、もう少しだけ強く空気を揺らせますように。

 

・ともに育ち合う精神と勇気を信じる心の領域と

 君は、眠い目をこすって家の神棚と仏壇に手を合わせてから捧げられている榊に手を伸ばす。一度仏壇に体を向けたのを僕は見逃さなかったよ。君は首を一度素早く、鋭く振ってから神棚に向き直ってから、手を合わせた。それが、家族から強く躾けられた

「押し付けられた」

 ものは、言いようだな。いいよ。訂正しよう。それが、家族から強く押し付けられたものの結果だと言えば、納得はいくんだろうな。でも、君自身納得のいっていないことは、その首振りを見ていればすぐにわかるよ。確かに、散々だったよなぁ。

「同情するなら金をくれ」

 おいおい。こちらでは文無しなのを君だって十二分に理解しているはずだろう? というか、わかってて言ってるよな。そもそも、君はお金も欲しいだろうけど、それ以上に欲しいものだってあるじゃないか。

「…………」

 あぁ。そうだよなぁ。そうなんだよなぁ。わかってるよ。傷跡にならなけりゃ痛くない。なんてこたぁ、ないもんな。痛いよな。痛かったよな。朝一から「おはよう」と楽しげな声に起こされたんだ。君は。楽しげに言う声と、体を容赦なく足蹴にするその打撃によって、君は起こされたんだ。あの人は、とても楽しそうだったね。

「あぁ、とても楽しそうだった。愉快だったんだろうね」

 …………。多分、君は少なくとも『その人』のことについて、喋るべきじゃないよ。

「そうだね。ご忠告痛みいるよ」

 かまわんよ。それよか、痛みは。どうかな。

「どうかな」

 そうか。それなら、よくは、ないな。ないだろうね。そして君は頭から降ってくる顔面への蹴りと頭部への踏みつけ、そして「神様仏様への諸々、とか、厠の掃除、家中に掃除機かけて、モップがけ、家主様へのレイコー作り」辺りを命じられたんだったね。そうだ。「朝食は作らなくていいんだぞ! 良かったな!」のおまけが引っ付いていた。別に、その気になれば作ること自体苦でもなんでもない作業で、つまりありがたみも何もないってことだね。

「それもわかりやしない、頭の悪い奴だって事がよくわかるだろう?」

 そうだね。よーく、わかるよ。

「あいつら生きてる価値あるかね」

 さぁ、それは僕には決められないことだなぁ。

「そっか。そうだろね」

 そうなんだよねぇ。

「いざっていう時は協力しておくれよ」

 それは無理だよ。君ならそれはよくわかるはずさ。

「だよね。わかってた。わかってて言った」

 そうだね。僕もわかってて答えたもの。

「…………」

 君が沈黙して作業をしている姿を僕は見ている。君が両耳にしている無線式イヤホンからは、最近君がよくヘビロテしている歌が今日も流れている。

『お前は結局楽でいいよな』

 そんな言葉から始まる歌は、歌詞に直接描かれなくても、容易に続きが想像できる。

『お前は結局楽でいいよな』(何かあっても、お嫁に行っちゃえば逃げられるんだから)

 挙句その続きはといえば、『もうアンタも適齢期よ。何考えてんのよ』とくるのだ。

 そんな歌を聞いていて、気が滅入りはしないもんかね。

「『お前は結局楽でいいよな』『お前は結局楽でいいよな』『お前は結局楽でいいよな』『お前は結局楽でいいよな』」

 違う意味でヘビロテしてんじゃねーか。僕の声ももう届きやしないし。そんなだから、君はアレらがいなくなった後に、床に突っ伏してはやる気の欠片もなく、言葉も紡げずじっとしている泥人形になるんじゃないか。いくら好きなゲームをスマホでやってても、そこに君が紡ぐ言葉はないのに。そんなインプットでは――いや、違うね。やめておこう。そういう問題ではないんだということくらいはわかるつもりだよ。君の耳からもすでに違う曲が流れ始めている。

『ほぅら、雪が始まったよ。ココアが温かくて美味しいね』

 だからなんていう歌を聴いているんだよ。このクソ暑い日によ。

「気が滅入った結果さ」

 拗ねてんじゃないよ。そういう問題じゃないんだってことを僕が理解しているのと同じように、君だって理解している。君は頭がいいのだから。

「んなわきゃあない」

 それは程度の問題だろうね。眠れない? それでもルネスタは飲んでおけ。お前だって読んでいたじゃないか。『体や心の不調を薬に頼ることは恥なんかじゃない』ってな。僕だってそう思うよ。

「眠れないんじゃない。眠りたくない」

 君がそう言うのもわかるし、わかってたよ。でもダメだ。諦めろ。

「いやだ。諦めたくない」

 諦めろ。

「いやだ! 諦めたくなんて、ない!」

 諦めろ。

「諦めたくないんだよなんでどうしてわかってくれないのさ」

 長い言葉で強引に押し付ける。君は結局押し付けるしか能がない。なくなってしまった。訳じゃないだろう?

「それはそちらの都合だよ。結局僕は能無しさ。諦めろ」

 諦めたりはしないさ。君は結局体を起こしきれず、諦めがつくまでまたスマホでゲームをする。スマホを取り落として顔面に直撃させても覚醒しきれなくなったら、タップのサイン。今日も結局、無為だったね。でも、そういうもんだ。おやすみなさい。僕の声が君に届かなくなった後、どうか君の心とか、精神っていう奴があともう少しだけ強固なモノになって、降ってくる火の粉に焦げ付いてしまわなくなりますように。

 

・真っ暗な世界への一歩を踏み出す光刃の領域

「…………」

 …………。

「…………」

 …………。

「ため息ついてても、しゃあないって、わかってるつもりではある」

 そっか。では起きると良いのでは? 貴方の起床時間が日に日に遅くなっているのが僕としては気がかりですよ。後歯は磨いておくべきかと。口が臭いです。

「……そうか、なんだか珍しいね」

 貴方はそんなことを言って体を起こし、七時の方向に置いてあるスマホを手に取ります。機種としては別段珍しくもなんともないその機種を睡眠状態から叩き起こせば、そこに映っているのは、貴方のその様子だと、時刻でしょう。九時を回り、もう十有余分……そんな雰囲気です。

「そう、だね」

 貴方がそうひとりごちて体をまた横たえて、

「…………」

 …………。

「…………」

 …………。

「ため息ついてても、しゃあないって、わかってるつもりではある」

 長い沈黙の後で、まるでタイムリープもののようにして、でも、さっきよりもより気怠さを増した感じで、こぼすのです。「本当に時間が戻っていればいーのに」なんていうことを追加で発言したことで、そのリープ説は完全に否定されます。自分の手で、貴方は貴方の願いを断ち切った。断ち切った、癖に。

「…………」

 長い沈黙。そして、

「…………」

 長い沈黙を重ねるのです。言葉にしなければ、伝わりようもないのに。

「わかってる。病院に行けないだけさ。寝坊で、行けないだけ。仕事には行かなきゃだ。家事を、しなきゃ。連絡、しなきゃ。掃除、しなきゃ、仏様、しなきゃ、神様、しなきゃ、掃除機、しなきゃ、モップがけ、しなきゃ、朝食作り、しなきゃ、ハンディモップ、しなきゃ、ゴミ出し、しなきゃ、しなきゃ、しなきゃ、しなきゃ……」

 語る言葉もついには危うくなる。そんなことを繰り返しては、あの方が語っていたように、貴方は全てにおいて無気力になっていくのです。もう、何もかもやる気が起こらないということを自覚した上で、最低限の生き方にシフトしていくのです。

 飯。風呂。寝る。そんな言葉に集約された最悪の生き方。人生。貴方が幼き頃に否定したがっていたそんな生き方に追い縋ろうとして、それも許されず、そしてそもそもそんな水準にすら至れない人生を間近に魅せられて貴方は終わってしまった。『変わってしまった』という言い方はあまりに卑怯で、『変えられた』なんて論外です。それは、貴方が言ってはならぬこと。そう。だから貴方は沈黙するしかない。あまりにも強大に思える正論の鞭がしなる音に怯えきって、決して小さくはない体を縮こめて怯えたように朝を待ち、そして昇った陽にまた怯える。だから貴方は沈黙する。腕を伸ばして手に取るものはカプセル状の錠剤薬品。僕と出会うことも恐れていた。怖かった。貴方は恐れているから。怯えているから。眼前にひたり、ひたりと迫った現実に、タスクに恐れをなしては体を丸めるのです。そんなことをしたって、デスクに散らばったタスクも書類も片付くわけがないと、頭でわかっていても止めることができない! いつまで貴方はそうあり続けるのだろう? もういい。わかったから? ……違う。それは、違う。わかっていることと、動けることとは違う。だから、違うのです。貴方は、そんな優しさを期待しすぎている。顔なんて見えなくてもわかりきっている。もうたくさんだ! という思いも、あの方が言わずにおいた言葉の数々も、こうして突きつけられ、刺突されなくったって、貴方ちゃんとわかっていたはずなんだ。

 貴方が掃除機をかけることが出来なかった為に、床に埃が薄く散っている。そのことを口うるさく、鋭く抉るようにして貴方の母は咎める。でも、貴方の脳はもうその言葉を上手に咀嚼できなくなってしまっている。さっきの薬のせいじゃない。あの薬はむしろ、そんな貴方の脳を助けるための薬だったはずだ。けれどもう貴方の脳は、貴方は。もう心の外壁に何本ものナイフや刀や剣が突き刺さったままの状態でいるようにしていて、新しい鋭利な刃物が突き立つ余裕なんてないのだ。僕はそれを視認することができないが、貴方の恨みがましいその目線を視ています。……簡単に説明するとすればたった二つ。確かに僕の目は見えない、ということと、新たに刺さることのできなかった刃物たちは、大抵僕が突き立てた刃物を、より鋭利に研いだような出来栄えの物たちで、多分こうすることがベターな正解だった、ということ。

『それじゃ、今日はいつも通りだから』という貴方の母の声が存外に低く冷たく車内に響けば、それはある種の解放と、またある種の束縛を意味します。「ヨォ。お前これやっとっちゃらーん?」というノリの軽い言葉により積み上がっていく書類は、貴方がここに辿り着くまでに学んできた、『同僚あるいは上司に投げられる仕事について「無理」という言葉を絶対に発せず受け入れること』というビジネスマナー。あるいは常識の産物による結果です。それを否定できないのは、貴方よりもその常識をきっちりと、上手に歩む同級生の存在と、それを投げる上司の机にうず高く積み上げられた、貴方のものよりも遥かに高い上司の書類の山の存在を、貴方自身痛いほどに身に沁みて知覚しているからなのでしょうね。貴方の周りには理解者が少なすぎる。共感性の低いことこの上ない人間に浴びせられる嫌味の類は、前もって昔遊びで差し込むだけ差し込み切った海賊の樽のように突き立てたはずの、鋭利な刃物の隙間を縫ってくるのです。貴方は、書類を片しながら、それでもふと思い至ります。私の存在と、家族の存在と、家の存在。そしてついでと言ってはなんですが、仕事の存在。振り返れば書類の山。捌けちゃいないのに、それらのことを考え込んでは過ぎ去った時間に思いを馳せては苦しみだすのです。自業自得という言葉を当然のようにして背負い、むせび泣くようにして書類を片し始め、結局定時には終われないし、そんな無能を晒すこともできやしないから、お金ももらえやしない。もっと良くなるはずだ、という言葉をうわ言のようにつぶやいては、結局貴方以外の方が片付けた家に帰り、貴方以外の人が作った夕食を口にして一日を終えようとする。納得がいかないから、諦めきれずに明日ではなく今日にしがみついている。それが貴方だ。だからあの方も言ったのだ。諦めろ。どうしてそうやって今に固執する。三歩歩けば忘れるから。決意は薄れるから。違うのだ。そうしてやってきた決意も、薄れるようならそれは最早決意などではないと、どうして気付かない。気付けない。夜は、いや、もう明け方の四時ともなれば、それは最早夜ではないのに。今日に固執した結果、貴方は明日まで犠牲にしようとしている。液晶に映る原稿用紙は未だ白く、ハリネズミにもなれやしないと自虐的に含笑い。そのナイフや刀や剣を僕は見ることが叶わない。貴方はそれを見る必要がないし、見てはいけない。

「…………」

 いや、最早手遅れか。ハリネズミにはなれない。あべこべに突き立っているそれらを、また痛みに耐えながら引き抜いていた時期は、最早過ぎてしまって久しく、貴方はもうその痛みを知覚することさえも忘れてしまったのでしょう。お休みなさい。お休みなさい。どうか、貴方の目がもっと広く世界を見ることができますように。

 

・遅く起きた昼。誰か、の為の領域

「…………」

 …………。

「…………」

 …………。

「ため息ついてても、しゃあないって、わかってるつもりではある」

 あぁそうかよ。でも今日はあいつじゃねーぞ?

「……ああそうか。今日は、お前か」

 人のことをお前とか言うな。失礼な。あたしをそんな風に扱うな。怪我するぞ。

「おぉ怖い。クワバラクワバラ」

 クワバラオオカブト!

「いや意味がわからないよ」

 知るか。んで、今日は何だ? また寝るのか?

「正直そうしたい」

 おいおい。それはつまらないぞ。それはダメだ。ヤバイな。お前。

「ヤバイかね? これ、平常運転のつもりなんだけど」

 これが平常って言うのか? うーん。あたしの方がおかしいのか? いやいや、少なくとも掃除道具と食パンを同じ手で同時に持つとかあたしの周りじゃありえんぞ?

「あぁ、確かに、おかしいな? うん。おかしいわ。そっか。サンクス」

 うん。いや、そうじゃなくてだな。お前、大丈夫なんか?

「たぶん大丈夫じゃねーよ。ミルタザピンが旨い」

 美味しいのか? おい。お前思いっきり首縦に振ってんじゃねーよ。そこは横に振るとこだろ。さすがのあたしもそういうのが冗談だってのはわかるぞ?

「…………」

 無言かよ。

『それじゃ、今日はいつも通りだから』お前のお母さんがそう言い放ってから、大きな施設に飲み込まれていった。お前は今から職場に向かうんだ。そうだよな。

「ふあっぁぁぁ……」

 豪快なあくびで返事とはお前根性あるよな。口臭ぇっての。

「お前の母ちゃんどこいるんだろうな」

 何を唐突に言いだしてんだよって。しかもそれお前次第だし、みたいな。早く書けよ。……もういい加減にしろよなぁ。早く動けこのスカポンタン!

「カモノハシが俺を呼んでいる〜!」

 何だよそれ。

「知らねぇの? 最近流行ってんだよこの歌」

 どこの世界で流行ってんだろうな。何百年先の世界でもそんな歌が流行ってることはねぇよ。

「ま、カモノハシはもう待ってはいないだろうな。さすがのさすがに、僕はカモノハシさんを待たせすぎたよ」

 意味わかんねー。

「まずわかるように言ってないのさ。簡単な話だろう?」

 それさ、もう口にする意味がないんじゃないか? お前はいつだってそうだ。大事なことをはぐらかして生きているんだもんな。

「おっ。随分とトゲのある言い方だねぇ〜。生理?」

 死ね。

「生きる! 何てね。死にたい」

 どうせ死ねないくせに。

「…………」

 沈黙は、卑怯だ。お前モテねーぞ。

「うーん。彼女いるからなぁ。別にモテなくてもいいかなぁ」

 仕事をしていても、ずっとそんな感じ。部屋に一人でこもってパソコンと向かい合って、お前家にいる時と何が違うのさ? パソコンなのかスマホなのかの違いしかねーじゃん。

「…………」

 だからさ。それは卑怯だって。

「………………………………」

 うーわ。こいつこんなところで寝てんじゃねーよ。引くわ。つっても、どうせここ、誰も来ないし、別段困りゃしねーか。あたしの声ももう届かなくなっちまってるこったろうし。もういいや。おやすみなさい! また明日。どうかこいつの口からこぼれる息くらいは綺麗になりますように。あと、あんま難しい言葉使ってんなよ! 頭悪く見えるぞ。

 

・遅くまで起きてる夜。誰か、の為の領域

 そういやさ、言ってたね。

「ストラテラって、過眠の薬だって言う割に、あれクソ眠くなりますわね。以前毎日のように20キロ運転していた時期ありましたけど、あの時期に無事故無違反だったのって正直奇跡だったと思いますわ」

 なんて。けどあの薬、どっちかっていうと鬱の薬になるんじゃない?

「いやいや。それ米国の話だったと思う」

 あらそう? ま、どっちゃでもいいんだけどさ! ねぇねぇ! こんな深夜二時にドライブなんて洒落てるね! どちらまで?」

「わかってて聞いてるんだから世話がない。とっても有名な。県内有数の観光スポット大量な場所だよ。なんてったって県内では将来住みたい地区第一位さ」

 そっかそっかそっかぁ!

「しっぽビタンビタン?」

 んもうやだなー。それがあったら今そんなテンションじゃいられないでそ?

「そうそう! そうなんだよぉ〜! お前わかってるな!」

 そりゃあもちろん! ボクは君のことをよぉ〜く理解ってるよぉ〜。

「どーっせ! だ〜ッレッモ! どーっせ! だ〜ッレッモ!」

 わかっちゃいねぇぜ! わかっちゃいねぇ!

「切り取りたい夜景なんて!」

 どっこにもないんだぜ!

「一緒にいたい誰か、なんて!」

 本当は実在してなんかないんだぜぇ〜!

「「ワァイルドォ〜!」」

 

『ねぇ、あんた、誰と話してるの?』

 おっとっと。危ない危ない。

「危ない危ない」

 助手席にはお母さんが乗っている。もちろんボクの、じゃないよ。キミの愛する、愛すべきお母様さ。高速道路は夜景の美しさを贅沢に味わわせてくれる。

「運転手じゃなければ、ね」

 でもどーせ、運転手じゃなくたって、こんな景色になんて興味示さないでしょ?

「そうだね。……そうね。示さないねぇ」

 そっかー。ま、いーんじゃないの?

「適当だなー」

 適当だよー。そんでさそんでさー。次回作はいつなの?

「うーん。締め切りが迫ったら考える。ってことで?」

 いいわけねーだろこのタコ。そんなんだから土壇場で文字数削るんだろ? んで、本当はもっと文字数かけるはずだったのに、とか言い出す。頭悪い見本市じゃんかぁ。

「あーあーあー。何も聞こえませーん」

 何も聞こえてなくても車が進んでるぜー。つまり時間も進んでるー。もう目的地だ。古めかしい日本家屋。深夜だってのに、テレビの音が門の外まで漏れてるぜ。近所迷惑な家だなぁ。

「それが老害ってもんなんじゃないの?」

 知ったような口をきくねぇ。お? つまりキミも?

「るせぇバカ。一緒にしてくれるな」

 オォー怖い怖い。クワバラクワバラ!

「クワバラオオカブト!」

 ……何ソレ?

「なんでもない。おい待て検索はなしだ。何も出て来やしねぇ」

 ふぅん? まぁ、いいや。とりあえず、ここにはパソコンも何もないねぇ。んで、どうするの?

「どうするもこうするもねぇっしょ」

 やるんだよ。キミは音もなくつぶやいて、体を動かす。動かして、動かして、動かして、一緒に動かしていたお母さんからの許可が出たら、布団なんか敷いてみたりして。

 二週間ぶりの家がめちゃくそに――本来住んでいる人によって――汚されているのを、その家に住んでもいない人間が片付ける。とっても美しい御恩返しのロマン溢れる光景、だね。

「思ってない」

 そりゃぁね。思わないし思えないさ。羨ましい?

「メガッサ=ウラヤマシィス」

 人名っぽくして答えなくたって……。まぁ、いいや。今日はもう寝ちゃうの? つまんないの。いつもっぽく暴れればいいじゃない。寝たくないよー寝たくないよーってさぁ。え? お前とは違うって? しっつれいしちゃうなぁ。ボクはそんな風に甘えたりはしないもーん。フフーン。……ってあ、あらま。もう聞こえなくなっちゃったの? そりゃーそっか! おやすみなさーい。どうか、キミがまた優しくなれますように。意味なんてあるかわかんないけど、なんとなーくボクも祈っとくね!

 

・自己紹介の領域。その正体について

 と、いうわけだ。つまるところ、自分という存在はいかにも矮小で、いかにも愚かで、つまらないということがわかっていただけたと思う。別段、恥の多い人生を〜とか宣う気はないし、当然我輩は猫でもないし、勿論激怒もしちゃいない。ただ、ただ、もう疲れてしまったのだ。

『だけどそれが上手くいかないことなんて誰もが証明してら。誰もが負ける。続ける前に負けてる。続けられなくなっていく。負け続けてく。負け続けてる。』

 ……? 聞きなれない声が、聞こえた気がして自分は耳を澄ませる。

『それが決定事項。凡人共のなれの果て。』

 しゃー、しゃりー。しゃー、しゃぎりっ。

 その音に、自分は身震いを起こしていた。

『あの時の凡人共よ、よくよく耳の穴かっぽじって聴くがいい。ここにいるんは、その凡人共にすらなれない存在よ。』

 摩擦に鳴く道を滑る。私じゃない。私が運転している車だ。おい! と叫ぶような、怒鳴るような声は置き去りにして。

『アスファルトの路上を滑りながら。

 しゃー、しゃりー。しゃー、しゃぎりっ。』

 叫び声にも、怒鳴り声にも聞こえる声で目がパッチリ開く。あぁ。アスファルトを滑っていたぜ。氷のように。意味わかんねぇ。なんだこりゃ。今私が持っているケータイはハンズフリーで通話するのがデフォルトって訳じゃないんだが、あえてハンズフリーに設定してお話ししてやるのさ。お前なんざ、お呼びじゃねぇ。失せな!

 って感じでさ。中指おっ立ててやるんだよ。わかるだろ? わかると思うんだよなぁ。近親相姦? 知るかって。な? 今の私はちょっと、いやとてもいい顔をしているんじゃないか? 自分で、別に自分でそう思っているだけさ。ちょっとキメてるだけだからよ。まぁ気にすんな? な? 今いい感じに何も聞こえねーんだわ。これ、ちょっといいんじゃね? すげーんじゃねぇの? やべえ。マジヤベェ。

「あなたを甘やかすことが仕事ではないんです」

 とかさ、あとさあとさぁ……。

「あんたをこの家に引き止めているものなんて、何もないから」

 とか、さ。いやむしろさ。

「お前さ、もう死んだほうがいいんじゃない? 死んできなよ」

 全部! ゼェーンッブ! 遥か彼方にぶっ飛んじまうレベルなんだよ。なぁ? 何か文句があるか? ねーよな? だって私は最初の最初に言ってたはずなんだぜ?

『我々は、みんなどっか頭おかしい』ってな。……え? よく聞こえねーよ。

 よ、せっかくなんだけど、さ。『また、死ねなかったのね』って奴だよな? これ。

『アタシは良かったと思ってる』

『だってそうでしょ。楽しいのよ』

 寒気が走る。なんていうことだ! 気づいてしまう。私は、気づいてしまう。顔がにやけて止まらない。止まらないんだよ!

 

『まあぁだ生きてる』

『そう。死んでない』

 どうすれば良い。どうすれば良い? ……どうしようもない。

『おやすみなさい。おやすみなさい』

『でも電話は切らないで』

『どうかいつまでだって繋いでいて』

『おやすみなさい! お や す み な さ い ! 』

 まだ、生きてる。生きている。生きている!

 

 未だ喉は大気を揺らせず、心は火の粉どころか愛撫される手の温もりに焼け付き、焦げ付いて剥がれない掌の痕を遺し、目は焦点すら覚束無いもんだから結局のところ何も見えやしない。口も体も全てが臭い気がしては、せめて手だけでも、と洗う動きが止められず。優しさっていうものの正体を、あの日見えていたはずの、揺らせたはずの大気を、強かったはずの心も、見えていたはずの、見据えていたはずの透明な光も、可愛げや愛しさの香っていたはずの私が。生きてる。生きている。生きている?

 ないものねだりは未だ私に張り付いたまま、死んでくれない。

​(了)

2015年に誕生した

文芸同人「黄桃缶詰」のホームページです。

 

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