会話
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会話
光枝 初郎
T・ラリュエルは言った。「僕がさ、君といつも話をしていて、どれだけ話をしていても、話したいことがとまらないし、次から次へと話したい話題が浮かんでくるのだ。まぁたくさんの話題があったところで、実際に話すものは限っているけど、とにかく、例えば話し終えたあとも、あぁ、あれを話したい、これを話したいっていうふうに、なるんだ。それがなんだかとても待ち遠しくてさ! 君を恋愛感情で見ているわけじゃないよ、S・センドバーグ。ただ、君と話をしたり、コンタクトをとったりするのは、いつも常に愉しすぎるんだ。これはどういうことだろう」「そうね、私だって、いつもT・ラリュエルの話を面白いと思ってるわ。こんなに話を巧みに展開する人って、単に話好きっていうことじゃなくて、すごく知性にあふれているのよね、貴方は――。知性に富んだ人は私は好き。知性とか、エレガントとか、繊細さとか、そういうのが私が好きなの。でも、私は、そうだなぁ、色んな人の話を聞くの、基本的に好きだなぁ。聞き上手とかとはまた違うと思うんだけども……なんだろう、人の話を聞いて、感心したり、勉強になったりすることがあって、それら一つ一つがすべてのひとつのテーブルの上に平等に並べられていく感じがする、うん」「その、ひとつのテーブルの上に平等に並べられていくっていうのは、どういうこと? いろんな人から聞いた話や、知識や、体験が、みな平等にS・センドバーグの頭の中に収納されていくと言った感じかな?」「そうだねぇ、うん……。一定の距離から物事や人を見るのが好き。その感触。もっと言うと、その距離感を保ちつつ、つまり近くなりすぎたり、遠くなりすぎたり、といったことを避けて、なるべく同じ距離感を保って、人の話を聞いて、物事や概念を考えたりするっていうのが、私のスタンスなのかな」「それはさ、じゃあ、『すべてを見つめて考える私』みたいなものが中心に存在している、みたいな感じなのかなぁ? すべてを等しく見る私がいて、人や物事や経験や概念は、同じ距離にあるテーブル上に並べられていくといったような」「そう言われてみたら、それが近い説明になっている気がするわねぇ。もっとも、中心にいる私というのはどうなんだろう……全てを等しく見る私という存在は、物事の並べられたテーブルからもっと、もっと遠い場所にいる気がするなぁ、なんかもっと遠い、遠い場所から私という事物や経験を眺める存在はいて、それらを、テーブルに等しく置いて眺めている、これが正解なのかもね」「そうなのかい、S・センドバーグ!」「いや、どうなんでしょうね、ふふふ。私の言ったことは私の言ったこと。私のことを一番わかるのが私と言うわけでもないし。まぁ、確かに自分自身を理解するのは結局は自分自身だけどね。まぁ、私の話はもういいじゃない、T・ラリュエルはどうなの? T・ラリュエルの物事の見方は」「僕はなぁ……。僕はなんでも自己主張が強い男だからなぁ……。よくもわるくも自分が中心なんだよ。S・センドバーグのような「遠い自分」というより、まず自分や、自分の目や、自分の思考の枠組みみたいなものがあって、とりあえずそこから世界や人の話や概念や経験をながめている、といった感じなのかもしれないな、今までの話の例でいうと。結局、僕は、僕自身の見方にいちばんこだわっているのかなぁと……うーんなんていうのかな、僕自身の見方からはじまって、それが人の話を聞いたり哲学書を読んでいろいろ思考の刺激を受けたり、小説を読んで感情を揺さぶられたりして、刺激を受けることになるんだけど、そこでの次の目標は、受けた刺激ををうまく活かして自分の見方を更新する、といった感じになるな。そしてそれを繰り返す。どうしても……自分の世界の見方が間違ってないか、より正しく見るには、この世界の原理を説明するための方法は、みたいに考えているとこは基本いつもあるね、正直。こんな話、分かるかい?」「ちょっとむずかしいわね。でもなんとなく分かるかもしれない。私の例え話の「遠い私」のことだけど、たしかに位置は遠いんだけど、その磁場というか、「私」の存在感はそれなりに強いよ。T・ラリュエルの「私」の強さと、それは同じだと思う。「私」というのは大事よ。自己、自我、つまるところの主体だから。人間は、はじめて主体というものを獲得して、いわゆる「大人」に近づいて行くのだと思うわ」「それはすごく同感するなぁ……ところでさ、最近は幼稚な若者が多い、とか、子どもと大人の境界線が非常に曖昧になっている、みたいな話もたまに聞くけど、その話につながっていると思うんだよね。S・センドバーグや僕のような「私」がまだ存在していない、確立していない人間っているんだよ。それがもしかしたら「子ども」の定義なのかもしれないな。子どもは主体的でない。子どもは主体をもっていない。それはどういうことかと問われたら、かなり説明するのに苦労しそうなんだけど、簡単にいったらこの「私」という輪郭線をちゃんと持ってない、そんな気がするんだよな」「輪郭線って、どういうこと、T・ラリュエル」「ええとね、例えばこの皮膚って全身を覆っていて、僕たちの身体はなりたっている。僕の身体がS・センドバーグに混じることはないし、その反対も無い。それは皮膚が、自己と他者の明確な区別をしているおかげだ。皮膚は自己のかたちをなぞる。皮膚や輪郭は形だけど、その形としての自己というのがつまるところの「私」、主体というやつなんじゃないのかなぁ」「なるほどね……それで、なんで最近の時代は子どもが、若者が大人になりきれないのかしらね。いろいろ社会情勢とか分析してみる必要はあるんだけど、そういう社会学的に考えるんじゃなくて、もっとスマートにいきたいわね。学問はスタティクスだから。私たちは直観につぐ直観を話しているような感じね、T・ラリュエル」「それでいいと思うけどね。話す場を共有して、思いつきでも会話のキャッチボールができる間柄というのは、いつでも貴重だ。それで最初の話に戻るけど、僕はいつも君、S・センドバーグとの会話がいつまでも続けたい、と思ってしまって、これは嬉しいことなのか困ったことなのか、判断がつかないんだよ。S・センドバーグ、これはどう思う?」「まぁ私たちは相方のようなものだからねぇ。友情の美学よ。いま、適当に友情の美学なんていったけど、これ、私はとても大切な概念だと思うわ。概念化できる気もする。友情、もっといったら友愛の精神なのかもしれないけど。友愛=友を愛する? 友達って、現代の人間関係の中で、いまその真価が問われている気がするの。例えば、私自身の経験なんだけど、高校を卒業して、大学に入って、大学を卒業して、社会で働きはじめたら、急に人間関係が変わることがあるのね。高校って、私は友達に比較的めぐまれていたし、友達の数も多かった。大学でも、一緒のゼミの子とは馬鹿みたいに一緒に勉強したり街に出掛けたりして……友人は宝だって本当に思ってた。でも会社に就職してから、上司や同僚、要するに会社の人たちと時間を接するようになって、定時まで仕事しないといけないから、限られたプライヴェートの時間もけっこう会社の友達といるようになって、すると高校のとき友達だった人や大学の友達と会う機会がどんどん減っていって……そういうとき、あれ、私、友達少なくなっちゃったなぁ、人間関係が大きく変わっちゃったなぁ、て悲しく思うことがある」「それは本当に的をついていて、最近はみんなそうだね。特に働きはじめた、社会人になった人はさ……仕事のプレッシャーがどこも凄まじい世の中だからね。プライベートな時間が限られてくると、余暇も楽しみたいし、仕事の疲れを癒さなきゃいけないし、そうなったら会社終わりに会社の気の合う人とビール飲みたくもなるしね。会社の人中心になるのは間違いないね。でも、大学の友達や高校のときの友達ってどうだろう。僕はぽつぽつ会ったりする機会が多いけどね。若くして結婚式とか、地元の忘年会とか、そういうのだけれど……」「それでも羨ましいなぁ。T・ラリュエル、そのとき彼らは今の貴方にとってどんな存在?」「ううむ、そうだな……みんな久しぶりに邂逅して、たいていは飲み屋に行って、積もり積もった話とか、現在のそれぞれの話や苦労話なんかも聞いたりして……。でもそうだね、思うことがあるんだけど、大学の時のその人の感じとか、高校の時のその人の感じとか、それが現在の彼らとどれくらい違っているかは、本当に人によりけりだね。ほんと全然昔からかわんねーなお前! みたいな感じの人もいるし、けっこう友達として付き合ってた頃とは話し方とか考え方とかかなり変わっている人もいるしね……」「あ、そうなんだ。私はあまり大学の友人たちと会う機会がないからね、そういうものなんだね。うーん、なんなんだろう、大学四年と、就職して社会に出て働き始めるのは、かなり飛躍があるというか、もちろん卒業してその次の月から新社会人となるわけだけど、社会人っていうのは、大人ではないけど、少なくとも大人として振舞うことを仕事の時間では求められる、そういう人間であるよね」「あぁ、なるほどね、大人としての振る舞いを要求される人間、それが社会人か……。 社会人って、まぁ世間一般ではもう大人、というか大人扱いされるんだけど、その実際、彼/女たちの中身は、子どものまんまなのかもしれないね」「中身は大学生の心のままっていうのが、昔からあんまり変わらない人のことなのかもしれないなぁ。それで、仕事で求められる圧力というか、社会人として、大人として行動しろー!っていうプレッシャーにかなり弱い人は、それが私生活にも広く及んじゃって、そういう人は社会人になってけっこう性格とか考え方まで変わりそうだね」「そこまでいくと、やっぱり就職というのは、その人の生きざまを大きく変えうる、一大事になるってことだよなぁ……。あたりまえだけど。大変だね、みんな」「高校を卒業して、大学を卒業して、そして社会人になって……人は変成していくんだね。成長って呼び方もあるけど。でもどこかでそのモデルなり考え方なりといった構図は、現代社会では崩れている気もするなぁ……」「言ってることは分かるけどね、S・センドバーグ。今日は、けっこう君が思うことを率直に聞けたような気がするよ。なんか珍しい。新鮮だ。最近何かあったのかい?」「あはは、別に何もないよ……。あたしはT・ラリュエルとまじめな話をするのがけっこう好きだからね。まぁ時間はあっという間に過ぎていくよね」「時間はあっという間に過ぎていく」「時間はね……有限だからね。時間って不思議な存在だよ。もっとも存在なのかどうかも分からないけど……S・センドバーグと話すといつも時間がもっとほしいと思ってしまうよ」「まぁ、嬉しい。ま、それは私もだけどね。別に、恋の感情じゃないよ。貴方と話すのはいつも楽しいから」「世の中に生きていて考えたり悩んだり不思議に思うことがなくならないからだろうね」「まあね……。難しい世の中だから。いっそ煩悩とやらでも捨てて、悟りを啓きたくもなっちゃうわよね、まぁ冗談だけど」「ははっ、悟りか。仏教。ブッディズム。日本は無宗教のように考えられているけど、ブッディズムの考えにけっこうなっている人も少なくないし、どちらかというといろんな宗教を信仰している人がいたりまったく無縁の人がいたり、異種混合といった感じだよね」「異種混合……。日本と宗教の概念てのはさ、ほら、ていうか、話がどんどんやまない。話は尽きないものね」「話は尽きない」「彼らはとどまることもなく話し続け、しかし時に中断し、また話し始め、それが何度も何度も繰り返されていく……」「繰り返しの中に、何か神秘めいたものがあるのかもしれない」「えっ、何、神秘めいたもの? T・ラリュエル、それについて教えてよ」「今日は君からよく話すこともあるね。ただ、今日はもうこの辺にしようか――。夕暮れもなずんできた頃合いだしさ……街が夜に移行する。今日はこの辺で別れよう。また今度……いつでも今度……」
「えぇ、もちろんよ」そうS・セントバーグは言うのだった。(了)
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