一日移動手記
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ジョン・ミルトンの『失楽園』はダンテの『神曲』とともにキリスト教文学の二台筆頭をなす著作である。まあ、僕は『失楽園』を現在読み進めているのだが。今日読み終えたばかりのバイロンの詩集でも、ミルトンとダンテが並べて敬表されていた。だが、ダンテが注目されているのは言を待たないにせよ、ミルトンはどうか。せいぜい、「失楽園って渡辺淳一の? 川島なお美の?」じゃないだろうか。キリスト教文化が主流ではない日本だから仕方ないか。アートスクールのアルバムにもずばり「Paradise Lost」というのがある。かなり好きなアルバムだ。Lost Paradiseというのではなく、パラダイスロストという語順がいい。『失楽園』というよりも、失われた楽園という方が何か詩的めいてるではないか。最もミルトンの『失楽園』は、聖書の創世記から採られた話にミルトンの自由な解釈を盛り込んだものらしい。神が世界を創造して間もない頃、人間たちは楽園に暮らしていたが、サタンが入り込んだ蛇にそそのかされて「知恵の実」を食したため、神の怒りに触れて楽園を追放されたという、有名な逸話だ。『失楽園』はこれ以降のサタン側の話を扱っている。天使、ルシファーといった単語が並ぶこの叙事詩は、単語こそ聞いたことがあっても具体的に彼らがどういう存在で世界に何をもたらしたのかを明瞭に答えることのできる人は圧倒的に少ないだろう。ところで僕はこれを電車の移動中に書いている。『失楽園』は今朝第一巻にあたる頁を読み終えた。格式高い。とっさにダンテを思い出した。ダンテにしろミルトンにしろ一体どういう書き方をしているのだろう……物語、あらすじは分かるとしても。ここで
ここは図書館だ。県の県立図書館。年間で来る来館者数が三年立て続けに日本でナンバーワンらしい。確かにこの県立図書館はすごい。しかし素晴らしいとはすぐさま言えないものも僕は感じているのだけれど。それについて書いている暇は今は無い。
恋人のエレンは、自分の大好きなコーナーの音楽家や音楽評論といった本を探すのに夢中だ。僕は漁った哲学書を読みながら、窓に目を向ける……いや、待てよ、何て低くて大きい雲なんだ! 雲が岡山市を襲ってきているようじゃないか! これにはびっくりした。いつも、雲は見上げると空を流れていて、遠い存在でゆらりゆらりと大気に運ばれているはずだ。しかし、この日、外出の日に限ってこの岡山の地に雪が降り、窓の外は一面冬景色である。素晴らしい……雲をこんなに近くに感じたのも久しぶりという気がする。窓が大きいせいだ。人の腰の高さから天蓋まで大きく開いている。建築における、優雅な時間を過ごすための空間づくり、といった意匠が凝らされているのだろうか……だろうな。僕は文系だから建築学のことは分からないけど、せめてそういったことを考えている人たちがたくさんいて、彼らのおかげで僕らが図書館やショッピングモールで快適に時間を過ごせている面もある、ということには思いを馳せて
僕はベンチに腰かけてこれを書いている。ここは……県で一番大きいショッピングモールの二階の隠れ家のような休憩所。ここで僕とエレンはたまりにたまった荷物をコインロッカーに預けることができ、僕はちょっと気分が悪いと言って、それほどでもないからエレン好きに見てきなよ、と声をかける。エレンが望みのペアリングを買えたことで、とても幸福そうにしているから、僕はそれだけで幸せになれる。僕はエレンの幸せがあればいい。しかし、歯が痛い。ついでに頭も痛い。昼に飲んだドイツビールの所為か。少なくともビールが胃に溜まってからいい方向には向かってない気がする。足も疲れた……。しばらく図書館で借りに借りてきた本を眺めていた。目次だけで面白い本がある。というより目次は最高の文章だ。目次構成がうまい人は、まず間違いなく僕のお気に入りの作家だ。例えば、メキシコのカルロス・フエンテス、村上春樹、ペルーのバルガス=リョサ! 構成美というものがあるだろう。それは体系立てられており、小説だろうが哲学書だろうがとにかく体系立っており、僕らはその一頁目から体系の中にわけ入っていって、外に出る頃にはその体系の「意味」を知り、驚愕、あるいはただひたすら震撼させられているのかもしれない……とか。 エレンが遅い。電話をかけるか。迷子になりやすいからな……
夜。スターバックス。近所にあるこの夜のスターバックスは、色んな意味で「妖しい」ムードを漂わせている。テラスを徘徊するヤンキー、数秒ごとに笑い声を立てるパリピ、あるいはノートパソコンで残業をこなすハイスペック・サラリーマン。僕とエレンはそれでも意外に溶け込んでいる。僕らはさっきからちょっとしたことで喧嘩をしている。原因は僕だ。僕が意気地がないから……僕はエレンに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。なのにこの僕のエセプライド! 屑!気迫を見せる時だ、証明するんだ、もっともっとできるはずの自分を! エレンはしばらくすると落ち着いてきた……でもまた彼女は(今回に限っても)謝ろうとする、しかも自分の方からだ。どこまで優しいんだ。僕は死にそうになる。ごめんごめん、本当にごめん。僕は、エレンが大好きだ。死ぬほど好きだ。愛している。おかしいくらい愛している。そしてエレンも多分そうだ。エレンも僕に首ったけなのだ。だから喧嘩はとりやめようということになる……残されるのは……僕の決断だ。今度こそは。今度こそは。言葉では裏切ってもいいから、存在を裏切るようなことだけは!
夜、パトカーのサイレン音が聞こえてくる。十一時を回った。人気は絶えることはない。
……と、ここで終わりにしておきたかったのだが、まだ書き留めておきたいことがどうしても一つはあった。僕はこれを深夜に書いている(エレンはもう寝ている)。僕らのペアリングを売ってくれたジュエリー店の店員さん、美人なんだけど、こう狐みたいな顔とお化粧だった! 僕の直感、狐! 褒め言葉なのだ。意地の悪い狐というより、心やさしい狐さんのような店員さんだった。あの店員さんだったから最終的に購入を決めたのだが。ジュエリーやアクセサリー類の店員さんもこうしてみると中々特徴があって面白い。最近、世の若い女性は、幾つかのパターン化されたファッションとお化粧で成り立っているようにどうも思える。パターンの組み合わせなのだ。あれ、これは見たことがあるぞ、この二人に至っては区別がつかん、よく似たペア・カップル、マイルドヤンキースタイル……美しくなりたくてお化粧してるのと違う、みんなと感じ・空気を合わせたくてしゃあなしに化粧やってんねや! みたいな台詞が大坂の外れから聞こえてきたりしてね。
(了)